19

Feb

海外アニメに見る「思春期」へのアプローチ―日本とは違う描き方に感じるアニメの多様さ【藤津亮太のアニメの門V 第74回】

取材などで日本アニメの特徴を尋ねられることがある。そういう時に、大雑把な傾向と前置きした上で「思春期を取り扱った作品が多い」という話をすることがある(念の為に書いておくと「多い」のが特徴で、「ある」ことが特徴ではない)。アイデンティティーの揺らぎや、恋愛を含めた他人との距離感。そういったものを主題、とまではいかなくとも、キャラクターの言動に反映させ、観客をドキドキさせたり、ハラハラさせたり、クスリとさせたりする。そういう作品がティーンエイジャー以上をターゲットにいろいろ制作されているのは、日本アニメの特徴のひとつということはできる。

そんな認識を前提に、Netflixのオリジナルアニメシリーズ『ビッグマウス』を見ると、大きな衝撃がある。『ビッグマウス』はアメリカのコメディアニメ。ニューヨーク市のウェストチェスター郡郊外に住む中学生たち(開始時点で7年生)をメインキャラクターに、「思春期」の中でも「体の変化とそれに伴う心の変化」に直接的にスポットを当てた作品だ。2017年から配信が始まり、現在はシーズン4までリリースされている。

物語はニック・バーチとアンドリュー・グローバーマンという2人の少年を軸に進行し、そこにさまざまな同級生が絡んでくる。シリーズが進むにつれてサブにいるステロタイプに見えたキャラクターが深堀りされていくのもおもしろい。

第1話「イキたくて」(英語タイトルは「Ejaculation」でずばり「射精」)は、まだ精通もなく陰毛も生えていないニックが、それが原因で友達のアンドリューと喧嘩をしてしまうエピソード。アンドリューはアンドリューで、あらゆるものが“おかず”に見えて、すぐに自慰したくなってしまう。例えニックの家に泊まってる時であっても。なお、アンドリューは第10話「ポルノスケープ」でインターネットポルノにハマりそこから帰ってくることができなくなる様子が描かれている。

第2話「みんな血だらけ」(「Everybody Bleeds」)は、主要な登場人物のひとり、ジェシー・グレイザーが、遠足で自由の女神を訪れている間に初潮を迎えるというエピソード。準備がなかったジェシーは、トイレから出られなくなってしまう。彼女はシーズン4第2話「ハンパない経血量」でサマーキャンプに行った時も、湖での水遊びを前に生理になり、いろいろ悩むことになる。

このように『ビッグマウス』はかなり直接的に「体の変化」とそれにまつわる「心の変化」をテーマにしている。見ていると共感性羞恥でいたたまれなくなるようなシーンも度々出てくる。また描写そのものもかなり直接的で、女性の自慰を扱った回では、女性器がキャラクター化して登場人物に自慰の方法をレクチャーしてくれる。このあたりは配信作品だからこその攻めた内容といえる。

そして、そこにさらにキャラクター同士の恋愛が絡み、人種的アイデンティティの悩みや、親子関係の難しさも取り上げられ、LGBTについて考えるエピソードも入ってくる。一種のイマジナリーフレンド的な存在として、主人公たちの欲望を具現化したキャラクター、ホルモンモンスターというキャラクターも登場する。

海外アニメに見る「思春期」へのアプローチ―日本とは違う描き方に感じるアニメの多様さ【藤津亮太のアニメの門V 第74回】

本作のポイントはこうした要素を持ちながらも、基本的に洒落のきついコメディとして描かれているところにある。むしろカートゥーン調のコメディだからこそ、列挙したようなさまざまなテーマを柔軟な手付きで取り扱うことができている、ともいえる。日本のアニメが得意なリアリズムを意識した表現では、同じ題材を取り扱ったとしても、もっと重く湿った感じになってしまうのではないだろうか。『ビッグマウス』を見ると、日本のアニメが扱う「思春期」だけが「思春期」ではないことを改めて思い知らされる。

Netflixでは、やはり思春期をテーマにしたオリジナルアニメシリーズの『永遠に12才!(twelve foever)』も配信している。本作は『ビッグマウス』とは異なり即物的に身体の変化を描くことはないが、プレティーンの子供が思春期を迎えるにあたって、その心のなかに生まれるさまざまな葛藤がテーマになっている。

主人公は想像力豊かな少女レジー・アボット。彼女は自作のカギを使って別世界にある「エンドレス島」へと赴くことができる。「エンドレス島」は一種のネバーランドで、レジーの不思議な友達たち(昔から使っていた玩具など)が暮らしている。レジーは、友達のトッドとエスターと「エンドレス島」で現実を忘れて時間を過ごすことを、何よりも楽しみにしている。

第1話「永遠にバースデー」は彼女の12歳の誕生日から始まる。でも母親から送られたプレゼントは、女の子らしい服、女性用カミソリにデオドラント用品、そしてブラジャー。玩具がほしかったレジーは、そのプレゼントにとても失望する。さらに母親は、ガレージセールで、レジーの古いおもちゃを売り出そうとする。売り出されそうなおもちゃを取り返したレジーは、それらを隠すため、エンドレス島へと向かうのだった。

第1話の導入からもわかる通り、本作は「子供でいたい」という願いと「否応でもなく大人になっていく」という現実のせめぎあいをバックにしながら物語を進めていく。そしてシリーズは進むにつれ「子供でいたい」と願うレジーと、トッドとエスターの間に距離が生まれていく様子を描く。

第21話「永遠に踊りたい(Dance Forever)」は、学校でダンス祭りが行われるエピソード。トッドは偶然知り合った、趣味が共通のグエンと踊ることになる。トッドの恋話に興味津々のエスターも、ダンス祭りの会場で出会った男の子とチークを踊ることになる。でもレジーは、恋話には興味がなく、チークタイムも持て余してしまう。音楽係の先生に、もっとノリのいい曲を掛けてくれるよう交渉したりもする。

最終的に、レジーはエスターとトッドに帰ろうと言い出す。けれどトッドはそれを断り、レジーと喧嘩になってしまう。レジーに連れ出されたエスターも、レジーのその振る舞いに不満を感じることになる。「ワタシらしくありたい」と思うことが、周囲を巻き込んだ「成長拒否」に繋がってしまう危うさは、とてもヒリヒリとしたものだ。

では、レジーに恋を感じる瞬間はないのか。実は第17話・第18話「ずっとしめ出され(Locked Out Foreve) パート1/パート2」でその出会いが描かれている。レジーが気になっているのは、学校で自主映画を作っている同級生コネリー。コネリーとレジーには、「想像力で物語を語る」という共通点がある。でもレジーは、コネリーが気にかかってしまう理由がよくわかっていない。ダンス祭りで急にレジーが帰るといい出したのも、コネリーが会場に姿を見せたことで、動転したからだ。

シリーズのエグゼクティブ・プロデューサーの一人であるペトスキーは、レジーを「自分のセクシュアリティに折り合いをつけていく」クィアなキャラクターと説明したという。つまりコネリーは、レジーが「ワタシらしく」を保ちながら、大人になっていく過程のカギを握るであろうキャラクターだったのだ。ただし本作はシーズン1だけで終了となってしまい、レジーのその後は残念ながら描かれることはなかった。果たしてレジーと「エンドレス島」の関係はどのように変化していっただろうか。

Netflixの様々なアニメシリーズを見ると、海外にも「ハイターゲットのアニメ(カートゥーン)」がいろいろあることがよくわかる。中でも『ビッグマウス』と『永遠に12才!』は、日本アニメがよく扱う「思春期」をまったく違うアプローチで扱っており、アニメーションの多様さを実感することができる。それは同時に「日本アニメが手を付けていない領域がまだまだある」ということの証でもあると思う。